誰もが、毎日満たされたいと
思っているのだと思います。
食事瞑想は食事から
満たされるということを学び
実感していきますが、
誰もが最終的に行き着くところは
食事ではないところに
自分を満たしてくれるものがある
ということだと思います。
食べ物に向き合い
その瞬間瞬間を研ぎ澄ませ
自分を感じ
味を感じ
時を感じ
それで受け取れる最高の
美味しさはあるかもしれないけれども
「自分を満たす」ということにおいては
味には本質がないのかな、と思っています。
先日、お話をしていて、
美味しいと感じられずに食べている
ということをお伺いしました。
その方はとても丁寧に、
長い時間をかけて
(一回の食事ではなく、長期間ということです)
食事に向き合われて、
今では無心で食べること、
無茶食いのような症状は収まり
たとえ美味しいと思えなくても
この瞬間は確かに
自分の心はここにあって
食べ物と向き合えています。
我を忘れていない
それだけでも大きな進歩だと思います。
食欲コントロールが
できない状態の時は
無心(我を忘れる)状態に
なってしまうことが
よくありますので。
その無心の状態に引き込まれずに
自分の心をここにきちんと
引き止めておきながら
食べるに向き合えている。
素晴らしいことです。
そこから先の
美味しいと感じられるように
なるためには、
味覚障害のような
身体的な問題でなければ、
おそらく味の問題ではなくて。
食欲に悩む私たちが求める
自分を満たすための食事って
お塩を足したら美味しいと
感じられるとか
新鮮な食材を使ったら
美味しいと感じられとか
そういうことじゃないと思うんです。
自分はここにいていいという
安心感だったり
今の自分を認めてあげる
受容も気持ちだったり
周りの人との人間関係だったり
きっとその人の心を
支えている何かが
最後の美味しいと
感じる決め手には
必要なんじゃないかと思います。
それを味わうための
エッセンスとして。
だって味わうって
心でするものですから。
特に、多分人間関係はとても大事です。
人との関係って自分自身ですよね。
「あなた」は他人でも
「あなたとの関係性」は自分の一部ですよね。
「その人とどのような関係性を保っているのか」
は間違いなく自分の一部です。
だから
他人は変えられないかも
しれないけれども
人間関係はやっぱり
良くしてあげる必要があるのかなと思います。
心で味わうために。