気づきというのは
瞑想やヨガの世界で
よく言われることですが
なぜそこまで大切なのでしょうか。
そもそも「気づく」と「教わる」の
違いってなんでしょう。
例えば、足の使い方を学んだとして
自分の中に出てくる考えはこんな感じですね。
教わる場合は…
⇒「足をこう使うのが正しい方法(らしい)」
気づく場合は…
⇒「足をこう使うとしっかりと立てるのか(発見)」
同じことを学んでいますから
それらは情報としては価値は一緒です。
しかし、それらがもたらす
あなたへの影響は全く違います。
具体的に言うと、
生きた知恵になるかどうかが違います。
人に教わる知識の場合、
日常で呼び起こすのは
非常に難しいのです。
なぜなら
脳は様々に情報を処理していますから
全ての情報を覚えておけないからです。
まるでベルトコンベアのように
流れてくる情報は
時間とともに消し去られていきます。
しかし、自分の気づきにより
手に入れた情報は
あなたの意識下に残り
必要なときには呼び起されます。
あ、この時ってこうだったな
と。
「気づき」とは、
あなたの中にいるもう一人のあなたが
長い観察を続けたときに
訪れるものであり、
そのもう一人の自分から教わった時
私たちはそれを「気づき」と呼びます。
だから、気づきというものは
大いなる時間と労力をかけて
手に入れるものです。
気づくには、アクションが必要です。
アクションとは、
「体を動かす」という意味ではなく
「能動的」という意味です。
あなた自身が能動的であること。
やってみて
探してみて
続けてみて
初めて「気づき」が訪れます。
その気づきの積み重ねが
オリジナルなあなたを
作るのではないでしょうか。
今日はここまで!
また次回!