15日に始まった第一回メルマガ「日々是瞑想」、
沢山の方にご登録いただきとても嬉しいです*
いかんせんビビりなので緊張しておりますが
皆様のお役に立てるよう頑張ります(*´ω`*)
さてはて。今日の本題に入っていきましょう!
前回は「ライフメディテーションとは何ぞや?」というお話でした。
(前回の記事はこちらhttps://life-meditation.com/e-zine1/)
ライフメディテーションとは
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日常(ライフ)を
瞑想(メディテーション)にする
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瞑想を一部の人の間にだけで
行われている縁遠いものではなく、
だれもが日常生活の中で取り入れられる
身近なものにすることで
心の平穏と満たされる力を育む、
というものだとお伝えしました。
今日も引き続き、ライフメディテーション協会への
理念や想いに関してお話しさせてくださいね。
ライフメディテーション協会のHPトップに
ある英語の一文’があるのにお気づきでしょうか。
Enough is as good as a feast.
アメリカのことわざです。
意味は
”足るを知る”
です。
feastとはご馳走の意味で直訳は
「十分だと思えることはご馳走と同じくらい素晴らしい」
という意味です。
私の書籍では何度も「幸せな腹八分」という言葉が出てきます。
食事瞑想の英文を作成しているときに
幸せな腹八分の英語が分からず
(そりゃこんな言葉言っているの世界で私くらいでしょうから…)
探しているときに見つけました。
見つけたときにとても驚きました。
食事瞑想の世界観がアメリカにも確かにあるのだと。
‘これで十分だと思えることが一番のご馳走’
この言葉作った人、食事瞑想してたわ絶対。
(うぬぼれんな)
贅沢が敵だとは思いません。
質素な生活を広めようと思っているわけでもありません。
ただ、どんな環境でもあなたの中に「満たされる力」がなければ、
そこに幸福感は宿りません。
私が大学で心理学を学ぼうと思ったのは、
高校のとある授業で「40代の男性の自殺率が一番高い」
というのを聞いた時でした。
なぜ、家庭もあり、安定した収入もあり、
こんなにも恵まれている国に生まれているにも関わらず、
自殺をするほどの精神状態になるのか。
高校生ながらにとても疑問でした。
それを学びたくて心理学を専攻しました。
その学ぶ過程でヨガと瞑想に出会いました。
ヨガ哲学に出会いました。
それを経る中で、その方に出来上がった
フィルター(偏見や価値観、物事や事象への意味づけ)が
間違った状態だと、人の心は整わないのだと学びました。
だから
「豊かな国なのに豊かなことを感じ取れなく」
なってしまい心が満たされないんです。
ただ心の怖いところは
自分でも知らないうちにその欲が増大することです。
本人はそんなに思っていないのに
「もっと」が増えていくんです。
あなたにもそんな満たされない体験ありませんか。
この機会に、自分の気持ちに
「もっともっと」となっていることがないか
見直してみるのはいかがでしょうか。