さて、前回はメガネの話でした。
近未来のメガネは、
眼にメガネが埋め込まれる形で
かけたり外したり
する必要がなくなるだろう。
そして、
「あれ、めがねどこやったっけ」って
探してたら実は頭にのせていたという
恥ずかしい経験をしなくなるだろうという
明るい未来を書いたりは全くしていませんし
上はでたらめなので信じないでください。
でも近未来のメガネは多分フレームが
ないものが出てくると思う。
傘と一緒に。
さて、人間のものの見方は不完全であり
個々人で世界を見るメガネを
持っているというお話をしました。
日常を瞑想にするために必要なのは、
メガネを外す訓練。
誰しも、生まれたころは
度なしのメガネです。
まっさらな世界に、
今この瞬間しかなくて、
過去に蓄積されたものも何もない。
心も体も癖が染みついていない状態。
この人がお母さんだってことも、
数ヶ月かけて気づくのですから!
しかし、色んな人と関わり、
色んな経験をして、
色んな学びをして、
自分だけのメガネの度を構築していきます。
タバコをタバコと名前だけ
知ってもダメですよね?
先端が熱いものとしらないと
避けることを知らないわけです。
肺を悪くするものと知らないと、
やらないという選択はできないわけです。
そうやって私たちは自分の経験を重ねながら
自分のメガネを構築していきます。
そうやって育ったのが、私たち「大人」です。
ただ、大人になるとそのメガネをはずして
ものを見ることが少なくなりますよね。
というより、ほとんどの人が
メガネをかけたまま
衣食住をしているのではないでしょうか。
起きたその瞬間から今日これしないと、
と自分がやらなこれば
いけないことを考えたり、
仕事の直後に自宅で
お母さんお父さんの顔になったり、
将来のためにこれをしなきゃ、
これくらい稼がなきゃと
未来への不安ばかり考えたり。
そんなふうにメガネをかけっぱなしで過ごしていると、、、
そう、メガネの外し方が
分からなくなってしまうんですね。
メガネと自分が一体となり、
そもそもメガネを付けていたことすらも忘れ、
それ自体が自分だと思い込む。
つまり、世界はこうに
違いないという思い込みが始まります。
そうやって一度メガネと自分がくっつくと、
そもそも眼鏡という存在に
気づくことが難しくなります。
昔はきちんと教えてくれる人がいました。
このおもちゃは自分だけのものではない、
みんなで使うものであり、
あなたのメガネは間違ってますよ、
と。
でも大人になると、
それを正してくれる人はいません。
この空間はみんなのもので、
大きな声で電話しちゃいけないことも、
仕事の初めにはおはようございますと
挨拶で始めなければいけないことも、
それができてないと
いうことに気づいてない自分も、
教えてくれる人は誰もいません。
だから、衝突するのですね。
そうじゃないという事実が、
あなたのこうあるべきという固定概念と戦う。
そうして私たちは自分自身の
ストレスも大きくしてしまいます。
だから、自分のメガネの度を知り、
そのメガネを外す作業を
日々する必要があるのです。
そうしたら、こんな考え方もあるんだ、
この人はこう捉えているんだ、
という他人のメガネを知ることができ、
相手の立場に立ったものの
味方や理解や共感ができます。
しかし、メガネを外す訓練をしていないと、
その存在すらも気づかなくなります。
それの存在を知るのは、
例えば親しい人が亡くなったり、
大事な人から裏切られたりしたとき。
命が永遠じゃないことや、
自分の中にこの人は
信用できるという思い込みに気づいた時、
そうじゃなかったんだ、と、
私たちはようやく
今までかけていたメガネの存在を知り、
それを無理やり外さざるを得ないい状況となります。
しかし、そんなやり方、
誰も望んでいませんよね。
嬉しい時にそれが起これば良いのですが、
おおよその自分の常識を
壊される場合はショッキングな出来事です。
だから、常に自分のメガネをはずす
トレーニングがとても重要です。
例えば大切な人が亡くなったとしても、
いつも命を慈しみ、
それに感謝して過ごしたとき、
命の終わりを受け止めることができます。
それは、その人が穏やかだからとか
悲しみが少ないからではなく、
ただ、眼鏡をはずすことを知っていたから。
命もいずれは終わるという
ありのままの現実を受け入れる
トレーニングをしていたから。
人と衝突したとしても、
この人はどうして
こう考えたんだろうと思えれば、
その人の大事にしてるものや
そこに至るまでの思考を理解することができます。
あなたはメガネと自分が一体となっていませんか。
今日はここまで!
また次回!