先日セッションを
していていただいた言葉です。
「瞑想をしたりセッションをする中で
自分と向き合うということの
捉え方が変わりました」
その方は、とってもポジティブで
明るく前向きで
周りの人にいつも気遣いをする方です。
自分の発する言葉や考え方には
特に気を使っていて
ポジティブにあろう、
前向きに考えよう、
周りの人にハッピーを届けよう、
としておられました。
それ自体は素晴らしいことで
それによって周りの人は
元気づけられていたのではないかと思います。
ただ、自分のネガティブな面が
出てしまいそうになると
こんな自分じゃいけないと思ったり、
どんなふうにポジティブに
考えたらいいかなと
ネガティブを無理やり
軌道修正してしまったり、
ということがありました。
しかし、セッションを重ねる中で
自分のそんなネガティブだったり
(自分にとって)弱い、良くないと
感じる面も含めて見てあげることが
自分を向き合うことなんだと
理解した、そうです。
ご自身と忍耐強く
向き合われた賜物だと思います!
素晴らしいですよね。
私たち誰しも、ネガティブ否定って
あるのではないでしょうか。
誰しも悩みたくないし、
ポジティブな自分でありたいと思いますよね。
ただ、ネガティブは決して
否定される存在ではありません。
ポジティブと同じ位
素晴らしい存在です。
なぜなら、
ネガティブもあなたの一部であるから。
あなたの中にある
ネガティブを否定することは
あなたの一部を否定することに繋がってしまう。
表に出す必要はないけれども、
でもあなただけは
自分のネガティブを受け取って
その声を聴いてあげてほしいと思います。
私、こんなにこれに嫌だと感じていたんだ。
こんなに落ち込んでいるんだ。
泣いているんだ。
仏教に中庸という言葉がありますが、
意味は「真ん中」。
偏りがなく、極端でないこと。
ヨガではニュートラル、
という表現をしたりします。
フラット、という言い方をしたりもしますね。
私はニュートラル、が好きです。
自分の中のポジティブにも
ネガティブにも気づいてあげて
それを受け入れて
そうであることを許します。
それは弱いままでいいとか
自分の悪いところを直さなくていいとか
決してそんなことではありません。
ただ自分の中にそれがあることを許す。
出来れば、ネガティブが悪いと
思っている自分に気づく。
ネガティブでいること自体は悪ではありません。
それはジャッジしています。
そこにそれ(ネガティブな感情)
があることを認め、
それが自分の一部であること認め、
それに嫌悪感を感じていることも認める。
弱さを受け入れることが
ポジティブと違う、
「柔らかい強さ」を生み出すのだと思います。
それではまた次回!