さて、前回は哲学と心理学の
違いに関してお話ししましたね。
このことを書いたのは先日
久しぶりに哲学に触れたから。
「嫌われる勇気」って知っていますか。
100万部突破した超有名著書ですね。
私の好きな著書の一つです。
私は好きなものを何度も読む派で
(テレビも音楽も同じ番組や曲聞き続ける派)
この本も何度も読んでいます。
嫌われる勇気はアドラー心理学に関して
書かれている本です。
先日ちょっと悩んでいることがあり
悶々としていたのですが
ふとアドラー心理学のいう
「嫌われる勇気」の言っていることが
腑に落ちる瞬間がありました。
ああ、そういうことか。
何か頭を殴られたような衝撃、かと思えば、
頭の中を一掃するような軽くなる感覚
何とも言えない、腑に落ちるあの感覚。
ああ、そういうことか。
私はこの瞬間が大好きです。
めったに来ないけど
でもふと訪れるあの感じが、大好き。
今日はそんな腑に落ちる感覚が嬉しくて
書きに来ました。(単なる感想―!)
腑に落ちるというのは体験を通して
「実感」すること。
脳の理解ではなく体験からの理解。
この腑に落ちる、というのは
とても爽快に感じられますが、
大変な面もあります。
なぜなら腑に落ちる前には
理解できずに悩んでいる時間も
存在するから。
これでいいのか?
これで合っているのか?
なぜこうなんだ?
こうやって四六時中自分自身に問いかけ、
探り、そして、腑に落ちる瞬間がくる。
そういうことか、と。
食事瞑想でもそうです。
胃の感覚を研ぎ澄ませることを
お伝えしていきますが
なかなかそれが分からない方も
いらっしゃいます。
でも、それでも自分で
問い続けるのです。
今日の胃の感覚はどこなのか。
それを繰り返し続けていると
ふと来るんです。
腑に落ちる瞬間が。
私は哲学者ではありませんから
哲学のことを偉そうに言えませんが
哲学的に生きることで
人生を深めることが好きです。
ああ、そういうことか。
それはヨガのポーズを
深めるのにも似ています。
とはいえ、
腑に落ちるまではそんなことは忘れて
云々とうなっている状態なので(笑)
実際は困っているんですが。
それでも、腑に落ちる瞬間
ああ、そういうことか。
そんな瞬間を重ねて
自分の人生を深めていきたいと思いました。
それでは今日はここまで!
また来週!